ジョンが仕事で来日するという話を聞いた時、正直これまでメールと電話でお互いの家族の事は何でもと言っていいほど知っていたので(1年間に400通づつ合計800通のやりとりをしていました)、先を越されたと思いました。(笑)
当時、ジョンはシリコンバレーでもバリバリの敏腕ディレクターで、コンピュータ産業で大活躍していました。世界のディレクターが集まる会議が日本で行われたための
来日でしたが、ホテルでの宿泊を全てキャンセルして我が家に泊まってくれました。
初めて顔を合わせたのは、関空に子供達と迎えに行った時。子供達がスターウォーズのライトセーバーを目印に持って行き、彼が現れた瞬間にそれを振っていました。車で我が家に行く途中で、
「停めて欲しい」といわれたのですが、何と花屋さんに立ち寄り、私の妻と母に渡す花を購入したのには驚きました。私の実家にまず上がり、私の両親と会った時には親父と魚釣りの話に花が咲きました。
昭和10年生れの私の両親は、戦争で親を亡くしていますし、「鬼畜米兵」と教えられた時代に子供時代を送っています。「まさか、自分の家にアメリカさんが来るとは思わんかったね〜。ほんまに平和な時代になったんやと、
やっと思えたわ。」と。ジョンは軍服姿の遺影のある神棚に一礼した後、母親が練習していたギターを手に取り、「YESTERDAY」など数曲を演奏しました。ある意味、両親が1番喜んだ訪問でした。
ジョンが私に1番に頼んだ行きたい場所は「パチンコ」でした。(笑)自宅にパチンコの機械まで持っていると。しかし現実は甘くなく、お金がどんどん無くなって行く。私はパチンコをしないので横で見ていると、コージも
やれよというので、せこく200円分の玉を入れて打つと、何が何やらいきなりフィーバーというのか玉がどんどん出て来て、お店の人が大きな箱を持って来たのですが、足元に玉がどんどん転がって行く。(笑)横の親切なお兄ちゃんが、
玉をどうやって箱に入れるか、入れてる間も打ち続けることなどを教えてくれ、換金方法まで教えてくれました。8,000円少しの勝ち!そのお金で秋華賞を買うと、3万円の万馬券的中!この時にジョンが言った「Hey, brother!
God loves you so much !」という言葉は、今やアメリカで「God loves Kouji」という合い言葉になっています。(笑)二人でカラオケに行き、ビートルズの曲を数時間掛けて、全曲あるだけ歌った夜も楽しい思い出です。
当時下の子供は、幼稚園に行くのを嫌がり、ジョンが送ると言うとしぶしぶ登園していました。ジョンが日本のマクドナルドのバーガーが小さい!コーヒーが少ないとクレームを付けたのも笑えました。京都観光を楽しんだのも
いい思い出でした。しかし困ったのは、ジョンの前で日本語で日本人同士が会話をするということは、彼に内緒話をしているようで失礼なので、私は家族の誰が言った言葉も全部英語にしてジョンに分かるようにしていました。
ジョンの英語を日本語に。家族全員の日本語を英語に。自分も会話を・・一体どれだけ喋らないといけないか!それを車の運転中に行う事はさすがに危険でした!(笑)
アメリカの家族へのお土産に「焼き物」を買いに行った時には、私の妻の薦めもあって決めたものに、色が2種類あり迷っていました。どちらが好きだい?と妻に尋ねたジョンはその答えの色のものを購入。帰国の日にそれを妻に
プレゼントしたのです。そう実は2つ買って、1つを自分の奥さんに、1つを私の妻にプレゼントして、離れていても2人は姉妹だと。下の子供は別れ際にワンワン泣き、「また会えるから。いつでもアメリカにおいで。」という
ジョンの言葉に「Tomorrow!」と答えました。(笑)これも今やジョークとしての定番です。何かあるごとに、soonの代わりにtomorrowを使ったり、一向にアメリカに行かない息子に「お前の明日は、いつのことだ?」と笑っています。
ジョンは私の子供にとっては、ジョンおじさんであり、私にとっては兄なのです。メールから始まった交流が、こんな大河になるとは夢にも思いませんでした。
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